金城町石畳道をまっすぐ上に登った所にあるのが14世紀末に創建された首里城です。
首里城と言えば城外第二の楼門である守礼門。創建は尚清王時代の1529年といわれ、門中央の篇額「守禮之国」から守礼門と呼ばれ、二千円札で有名ですね。
守礼門の少し先には、これも世界遺産に登録されている園比屋御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)があります。尚真王によって1519年ごろに創建された宗教建築物です。
いよいよ首里城の第一の正門・歓会門。1500年ころに創建されましたが沖縄戦で焼失し、再建されたものです。門の両側に獅子像(シーサー)があるのは中国からの影響でしょう。
次が瑞泉門。瑞泉門のわきには名前の由来になった、龍の口から水の湧き出ている龍樋があります。この龍の石彫刻は1523年に中国からもたらされたもの。その先に漏刻門が有ります。この門の上のやぐらの中に漏刻(水時計)があったのです。漏刻門の先には水時計と一対になる日影台(日時計)があります。この日時計の示す時刻(地方太陽時)は日本の標準時より30分遅れています。それだけ、沖縄が南西にあるわけです。
いよいよ、首里城正殿前の庭に通じる広福門です。この門は建物自体が門の役目をしているという面白い構造をしています。広福門を入った広場で、保存会の人たちが琉球の舞を演じていました。又この広場には、1458年に鋳造され首里城正殿前にかけられていた万国津梁の鐘のレプリカが有りました。実物は沖縄県立博物館にあります。万国津梁とは「世界の架け橋」と言う意味で、貿易にかけた琉球王国の意気込みが分かります。