緑の丘は、新羅時代の王一族の墳墓であった。慶州路西里古墳群と呼ばれているらしい。ここ、路西洞地区には、大小の古墳が10余基ある。路東洞の鳳凰台古墳と合わせ、その規模において双璧を二分する130号古墳をはじめとして、1921年に偶然金冠が出土して、世の人達を驚かせた金冠塚、1926年スウェーデンの皇太子クスタプアドルプ6世が発掘調査に参加して金冠が出土した瑞凰塚、1946年高句麗カンゲト大王の名前が掘られた青銅器が発見されて、新羅古墳に対する年代推定の手掛かりとなった壺杆塚、その他に銀鈴塚、雙床塚、馬塚、などがある。これらの墳墓中の大部分が、大きな物は積石木槨墳で、小さな物は石室墳か竪穴式墳である。1984年新羅古墳整備保存事業の一環で民家を撤去して、今の姿に整備した。
古墳公園は、日本の古墳とは違い、現代も人間が好きなように立ち入りが出来るという大変のんぶりとした空間。ちゃんと整備されていて、撮影禁止と、厳しい保護をしている箇所があるかと思えば、そのすぐ傍では全くほったらかしの古墳も。無論、日本国とは違い現代でも天皇である天皇家と既に1000年以上前に滅亡した古代国家の王の古墳を同列に扱えないにしても、このほのぼのとした雰囲気。韓国全体は、やはり日本よりほのぼのとしているな、というのが印象に残る場所。