高台天神 御由緒
高台寺天満宮は、豊臣秀吉の夫人であった北政所ねねが、慶長十一年(一六〇六)に高台寺を創建した際、日頃崇拝していた綱敷天満宮の祭神 菅原道真公を勧請して高台寺の鎮守社としたものである。
創建当初は北政所の兄、足守藩主木下定家公が社殿を造営して寄進、寺内上壇の地に建立されていたが年々崇敬の人が増えたために寺外から直接参詣できるようにと社殿を下壇の地(現 圓徳院と春光院の間の地)に移し、以来「下河原の高台天神」と親しまれてきた。明治維新の神仏分離令によって、社殿の規模を縮小され再び上段の旧地に移ったが高台寺開創四百年(二〇〇六)に際して現在地に移し修営されたものである。
学問の神様 菅原道真公をはじめ、北政所が秀吉と共に天下統一、出世、長生きされた事に因んで開運・出世・健康長寿・災難厄除などにご利益があるとされる。