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鐘路3街

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色町の歴史

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あまり品のいい話ではないが、弥阿里や清凉里588といった場所がどういう所かは韓国をある程度知ってる人なら判ると思う。逆に、日本人なら東京の吉原や大阪の飛田新地がどういう所かは、大抵の人は知っていると思う。

売春の是非は置いておいて、そんな街の歴史や出来事、そして現在の状況や未来の姿を考えてみるのも一考かと思う。

実は私も最近知ったのだが、鐘路三街という街も、かつては色町として栄えたところらしいのである。勿論、既にその手の店は今は残ってないが、街のつくりは再開発でもされない限りその面影を留めている。鐘路三街から安国駅方面に向かって裏通りを歩いてみると、その道幅が意外に狭く、また斜めに分岐したり複雑に交差したりとちょっと普通の街とは違う雰囲気が漂っていることに気が付く筈である。そして、その細い裏通りに面した古い建物がどうにも住居として創られたとは思えない容貌であることも。

既に消滅してしまった色町というのは日本にも結構ある。東京では新宿や玉の井(現・東向島)などがそうなのだが、現在でも面影を留めているせいか玉の井などでは町並みを撮影している外国人などをよく見かける。また、漫画家の滝田ゆう氏は玉の井で生まれて育ったため、子供の目線で捉えた玉の井の風景が作品中に多く描かれている。

以前に初めて友人の招きで韓国を訪問した際、最後に連れて行かれたのが弥阿里の置屋街であった。友人の説明では、このような所は旅行者には解からないだろうけど、実は小規模なものはあちこちにあるということだった。

それから数年経った現在、お上の浄化作戦により弥阿里も清凉里もその灯が消えようとしている。いつの日か、またそれらの街も鐘路三街のようにその面影だけを留めるただ路地が狭いだけの飲み屋街となってしまうのだろうか?

韓国は、かつては戒厳令が敷かれ、深夜は外出できなかったから、色町に遊びに行って時間が遅くなってしまった時などは、そこで泊まるのが普通だったと聞く。そして、深夜になると食べ物や飲み物を売りに来る売り子たちもいたそうである。これはまだそんなに昔の話ではない。

街というものは、その成り立ちや時代背景によって、みなそれぞれ違う顔を持っているし、それは昼と夜で違う場合もある。そして物事というものは何事に於いても表と裏、光と影がある。そして鐘路三街が色町としての歴史に終止符を打った理由は、一人の職業女性の何気ない行動が原因だったと聞く。

もし、鐘路三街へ行く事があったら、そんな昔の面影を見ながら表の一面だけを見るのではなく、その裏に秘められたもう一つの側面を見てみるのも旅行の楽しみではないだろうか?

 

お願い:

鐘路三街について、ネットで調べても色町関係の資料が殆ど見つかりません。詳しくご存知の方や情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。



役立つ情報


・ここは紹介にあったとおりの場所ですが、安いホテル、ゲストハウスが多いです。ちょっと躊躇するような外観のところもありますが

選べばお得に泊まれます。また、安く美味しい食事が取れる店も多いので探してみてください。

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記事最終修正日時
2015.05.14 16:30

Creative Commons — 表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本 — CC BY-NC-ND 2.1

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