日本で行われる闘鶏は祭りの出し物のひとつで、明治維新の文明開化と共に「賭博」としては禁止されたため、(表立っては)賭け事としては行われていない。しかしながら、他のアジア各国では未だ「競技」と「賭博」の両方を担う形で催されている。インドネシアのバリ島などでも祭りの度に町単位で行われるが、それ以外にも常設の「闘鶏場」があり、真昼間から目をギラつかせた地元の男共が「ガッサー!ガッサー!」とベットの掛け声を上げて札をビラ付かせる。バリ島の闘鶏は鶏の足元に5cmほどの鋭利な刃物を付けて戦わせるため、負けた鶏に待っているものは「死」だ。こんな、言わば「残酷な場所」に、小学校低学年ほどの子供を連れてきて、勝負に負けた鶏たちの死骸をあえて見せている西洋人家族がいたりもする。その子は、勝負に負けて死んだ鶏を見て、好奇とも悲哀とも取れない顔をしている。子供に「死」を見せるのは良い。特に「身近なもの」や「より大きなもの」の死はなおさらだ。そんな「生きた教育」が出来る場所は、闘鶏場だけだろう。