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戦争の跡

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戦争の愚かさを考える

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戦争の跡

太平洋戦争の戦場跡を訪ね、戦争の愚かさを考えることにした。ホテルを出て暫く行くとアガニア(ハガトナ)地区にあるグアム政庁が見えた。大きな徳利型の物はグアムのラッテストーンを模したもの。ラッテ・ストーン(Lattestone)とは、グアム、サイパンなどマリアナ諸島に見られるサンゴ石でできた石柱群で、9世紀から17世紀にかけて作られたチャモロ人の古代チャモロ文化の遺跡だそうだ。そうこうする内にアサン展望台に着いた。正面の海辺がアメリカ軍が築いたアサンの橋頭保で、それに対して日本軍は右の丘の上に司令部と通信所を設けて反撃した。アサンの橋頭保の左に見えるアプラ港は前線補給基地として必要と考え、アメリカ軍はグアムを手中に入れたかった。ここにはグアムでの戦闘で死んだ兵隊の名前だけでなく真珠湾で戦死したグアム出身者の慰霊碑もある。日本軍の侵攻と占領を示すレリーフと米軍による解放を示すレリ-フ。山を降り、太平洋戦争国立歴史公園資料館前にはオアフ島東部で見つかった日本軍の二人乗り特殊潜航艇が展示してある。1934年から45年までの間に約2000隻の特殊潜航艇が建造されたが殆ど戦果をあげることが出来なかったそうだ。Agatのガーンポイントには日本軍の高射砲や対空機関銃が残されている。当時の防空壕やトーチカの跡も残っている。このトーチカには高木隊第二分隊と部隊名が彫られていた。果たして無事だったのだろうか。現在、ガーン岬には戦闘で亡くなった人をしのび日本、アメリカ、グアムの旗が掲げられている。こうした戦跡を巡ると戦争の愚かさがひしひしと伝わって来る。

ガーン岬の後はミクロネシアに只一つのロープウェーの有る所タホロの滝に。そこに何があるのか?滝近くの森の中に入って行くが、歩くのが大変な人には軌道車もある。すると、そこに有るのは洞穴。そう、横井庄一さんが隠れ住んでいた横井洞穴である。(但し、本物は私有地の中なので、これはレプリカである。)戦後28年間も隠れ住んでいた横井さんは地元では英雄だ。「英雄 横井庄一下士官」とか「英雄 横井庄一様の兵歴」がそれを物語っている。次はMataguakHill(叉木山)の東斜面に有る戦闘司令部壕跡。最後の総攻撃を下命した後、小畑中将は60余名の将兵とともに自決した。日本からの慰霊訪問団も時々やって来る。それにしてもこんな草深い洞穴で自決した将兵が哀れだ。少し離れた竹林の中には日本軍の作ったコンクリート製水道タンクが残っていた。司令部壕の上の平坦地には合掌の形をしたモニュメントがあり、その脇には我無山平和寺もある。一帯はジーゴ南太平洋戦没慰霊記念公園になっており綺麗な花が咲き乱れ、平和の大切さを訴えているかのようだった。本当に、戦争の愚かさを感じる戦跡めぐりであったが・・・グアム島には巨大な米軍アンダーソン基地も在るのだ。

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記事最終修正日時
2013.03.07 07:58

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