イタリア南部のバジリカータ州にある「マテーラ」。
柔らかいパステルカラーの石灰石に囲まれた古びた街は一見、廃墟のように見えるが、カルスト台地の岩山に築かれた独特の“サッシ”と呼ばれる洞窟住居群で、1993年にはユネスコ世界遺産にも登録されています。
洞窟を掘って造られた教会や家々など、その独特な景観は、旅行者や建築家、アーティストたちを魅了してきました。
「マテーラ」の中でも最も古いエリアに建つドゥオーモを挟んで北側のサッソ・バリサーノ(Sasso Barisano)と南側のサッソ・カヴェオーソ(Sasso Caveoso)の2つの地区に分かれています。よく目を凝らして町歩きをしてみると、貝殻や化石を見つけることができ、かつて海の底に沈んでいたことを感じることができるでしょう。家々が重なり合うように密集した不思議な町「マテーラ」をぜひ探検してみてください!
迷路のようなマテーラは目的地にたどり着くのも大変です! |
洞窟を利用したホテルやレストランもあります。 |
夜、マテーラの町がライトアップされた姿もきれいです。 |
*マテーラの歴史
この廃墟と化した「マテーラ」に人々が戻って来たのは 実は最近の出来事である。映画「パッション」で、イエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘まで歩いた道・ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)は、ここ「マテーラ」で撮影された。本物はイスラエルにあるが、ほとんどの撮影がここで行われたそう。
「マテーラ」の歴史は古く、先史時代にまでさかのぼるそうだ。他の南イタリアの街と同様、ギリシャの支配を受ける時代が続き、ターラント湾に面した古代ギリシャの2つの都市メタポントウム(Metapontum)とエラクレア(Eraclea)の住民がこの地に流れついた。そこで、2つの都市の名前をとってマテーラ「Matera」と名付けられたという。そして、8・9世紀になるとイスラム教徒や偶像破壊主義者からの迫害を逃れ、ギリシャの修道僧たちがこの地にやって来て、岩窟住居を住処や修道院として洞窟の用途がさらに広がっていったようである。16世紀には、ナポリ王国の支配のもとで商業や農業が繁栄し、街は一気に活気づいていった。しかしそれと同時に貧富の差が生まれ、裕福な人は高台に、貧しい人は岩窟に住むという社会構造ができてしまったという。そんな歴史があり、洞窟住居は衛生的にも十分ではなく、生活環境の悪化に伴い政府は洞窟の上の方に新しい家を建設し、住民にそちらに移住するように働きかけた結果、1967年、廃墟と化してしまった。その後、その不思議な光景のため「マテーラ」が脚光を浴びるようになると、1993年にはユネスコ世界遺産に登録され、再び人々がこの地に戻ってきた。