牟陽城とも呼ばれ、韓国でその原型が最も良く保存されている自然石の城郭で、朝鮮時代初期、1453年に建てられた。邑城の大きさは周囲約1,400m、広さ43,847坪で、高敞の町の南側、聖主峰の稜線に位置している。
邑城でありながらも邑を囲んでいるのではなく、山城のようであり、城の外郭には堀が掘られ、城内には客舎、東軒、鎮武楼などの昔の建物がそのまま残っており、建物の周辺には様々な遺構が散在している。
高敞支石墓群を訪ねた際、案内してくれた男性が是非ともというので訪ねてみた。その日は、午後から内蔵山を見学後大田まで行きたかったので、「I have no time」とお断りしたのだが、話を聞いている内に近そうだったし、どうも城跡のようなので興味が湧いてきたので行ってみたくなった。
断片的に理解できた内容を総合すると、どうやら「コチャンウプソン」は中世のお城で、秀吉の朝鮮侵略を防ぐ目的で築城されたお城のようだ。目的地にはすぐに到着、日本語のガイドさんがいるらしく案内してもらえるとのこと。
秀吉の朝鮮侵略に関連する遺跡は是非とも日本人に見てもらいたいという気持ちがあったようだ。韓国では豊臣秀吉、加藤清正は極悪人。言いがかりをつけてライバルを抹殺し登り詰めた成り上がりの独裁者のイメージが強い豊臣秀吉は好きではない。
しかし清正は、その独裁者に命令され忠実に従ったのであり、秀吉に逆らうことは即、「死」を意味することであったはず、ちょっと気の毒な感じがする。
秀吉の朝鮮侵略の際、亀甲船を考案して活躍した韓国の英雄、李舜臣の事を聞かれたが、以前本で読んで知っていたので少しは面目を保つことができたようだ。