定林寺址は百済時代の創建と言われる大寺院の跡、ただし定林寺とは高麗王朝時代の寺名で、百済時代の寺名は定かではない。中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ四天王寺式伽藍配置で日本の古代寺院に多い伽藍配置。
この伽藍配置の由来になった四天王寺は、593年に聖徳太子によって建立されたと伝えられているが、百済から仏教が伝わり寺院が建った訳であるので、百済式伽藍が四天王寺式ということになる。扶余の町外れにある軍守里廃寺も同様の伽藍配置で、扶余で調査された寺跡のほとんどは、この四天王寺式伽藍配置であるようだ。
7世紀当時からのものは五層石塔のみで、高さは10.3m、塔心の初層には、唐軍が扶余を占領して1ヶ月後の660年8月15日、唐軍の将であった蘇定方が戦勝を記念して「大唐平百済国碑銘」が刻まれているといわれています。現在はこの百済五層石塔と石仏坐像を見学することができる。