本能寺は、織田信長の宿所として使用され、1582年に「的は本能寺にあり・・」と言う明智光秀の名台詞、本能寺の変での舞台になった場所です。この時点で既に5度目の焼失で、現在までは約7度ほど再建しているそうです。元は、室町時代、本応寺と言う名が着けられ仏教の宗、日隆によって創建されました。何度かの再建と移転が繰り返され、今の寺号「本能寺」とつけられました。また、何処よりも早く種子島へ宗教を広めていた事もあり、火薬や鉄砲などの入手で戦国大名との関わりも深いそうです。そして、本能寺の変後に焼失、1587年に豊臣秀吉が、現在の場所へと移転しました。元々の場所は、京都市立本能小学校があった場所で、廃校後の1992年発掘調査にて建設物の一部が発見され分かったそうです。現在は、高校と特別養護ルームの施設があります。