「セルジュ・ゲンスブール」は、今さながら、彼の驚異的な天賦の才能には驚愕。現役時代を知っているのに、あえて、そう熱心に聴くことはない方も、改めて聴いてみると、彼は音の魔術師というか、かなり、最先端を行く冒険的試みをしている。 ビートルズに次ぐ音の革命児と言っても過言ではないだろう。地下鉄の駅の掲示板に「セルジュ・ゲンスブール」のポスターがデカデカと貼ってあるとか。パリではなく、異国のロンドンでも死後19年経ってもこれだけの人気を誇っているとは凄い。
セルジュ・ゲンスブール(1928-1991)、本名ルシアン・ギンズブルグ。父ヨーゼフはユダヤ系のピアノ弾き。母オリガもユダヤ系。第2次大戦時はナチスによる迫害を受けて南仏を転々としたそう。画家志望だったルシアンは、父親の勧めで作詞作曲した「失われし恋」がジュリエット・グレコに歌われてヒットし、音楽の道へ。27歳ごろから、セルジュ・ゲンズブールと名乗り、58年に「リラ駅の切符売り」など9曲が入ったLP「第1面のシャンソン」でデビュー。「夢見るシャンソン人形」は、1965年3月20日、ナポリで開催された「ユーロヴィジョン音楽祭」の優勝曲。これがきっかけで、世界中に大ヒットになり、極東の島国にも伝えられる。この曲で、「「セルジュ・ゲンスブール」」の名も知れるようになったと言っていいだろう。音楽的にいえば、50年代にパリで大流行したジャズの洗礼をたっぷり浴びたせいか、ロックンロールやフォークに影響を受けないどことか、あえて反発して違う道に進んだことは、逆に彼の功績と言っていいだろう。ささやくように歌うシャンソンはもちろん、中世の吟遊詩人トルバトーレや、アフリカン音楽、ジプシーの音階などに影響を受けておる。とにかく、これまで、彼のフランス語の歌詞の駄洒落や造語や地口などが話題に上ることが多かったのだが、音作りが突拍子もなく素晴らしい。「「セルジュ・ゲンスブール」」といえば、何と言っても、華麗なる女性遍歴。ロシア系の貴族の血をひく女性と2回結婚(離婚)したほか、往年の大女優ブリジッド・バルドー、ジェーン・バーキン、カトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・アジャーニらとの親密な交際を持ったことはスキャンダルにもなり、よく知られた話。