かつてのマカオの中心はマカオ半島の西部、新馬路と火船頭街の交差する辺りで俗に『内港エリア』と呼ばれる地域であった。寂れてしまった理由は色々とあるのだろうが、直接で最大の原因はやはり東側の俗に言う『外港』エリアの発展、特にカジノや夜総会が集中して開業した事だと思う。
廃墟同然となったかつてのランドマーク的存在の旧国際酒店(グランドホテル)や打ち捨てられたように放置されてる旧半島酒店(ペニンシュラ)があるが、それらを取り巻く町並みを見る限り、その衰退はここ数年の間に極めて急速で突然であったように感じる。
元々はマカオの港町であったため、付近に安宿が密集しているのは名残りであり、その中でも新中央酒店や新華大旅店など開業して既に100年を超えたり間もなく100年になろうかという宿もある。新中央酒店などおそらくその開業当時は鉄筋の本格的なホテルなど他に無かったであろうし、街一番の高級ホテルであっただろうことは想像にかたくない。今でも賓館を始め萬事發(マスターズ)や新新(サンサン)、英京(ロンドン)といったホテルが営業しているし、旅社も数多く残っている。
しかし、この内港は土砂が堆積して既に大型船が入港できないという致命的な問題があるので、今後かつてのような発展を取り戻せる可能性は今のままでは皆無に近い。生き残った宿も、安い宿にはそれなりの理由がある。設備投資ができず旧態依然として営業しているところや職業女性の滞在に依存してしまっているところなどだ。
ただ、本来下町であったこのエリアの裏通りは、依然として飲食店や土産物屋が活況を呈しているし、東亜酒店などは職業女性依存から脱却を図り、ポンテ16に近いことを武器に現在は健全な宿として営業している。
内港エリアにポンテ16が開業したことにより、若干の活気は戻ったが、まだまだかつての隆盛には程遠いと言わざるを得ない。半島酒店併設の花城夜総会の看板を見るたびに『兵共が夢の後』という言葉が脳裏を過る。
対岸の珠海からは、こちらの様子はどんな風に見えているのだろうか?
因みに、『司打口(正確には司
咑口)』という地名はかつてポルトガルによる統治の時代にアヘンの輸入窓口として税関が置かれていたことに由来するという説がある。