「コレヒドール・アイランド」は、フィリピンに行ったら是非とも見ておきたい場所。マニラから船に乗ってわずか1時間程度なので、日本軍と米国軍、戦場となったフィリピンの戦争の歴史を見るには良い。現地に到着すると英語のガイドと日本語のガイドが選べるので見学してよく理解できる。日本語のガイドは流暢な日本語を話すので有名人らしい。たしか「私の名前は、東京の昔の名前、エド(江戸)と言います。」という冗談も言うくらい。
(以下はwikipediaより)
スペイン統治時代、コレヒドール島には検問所がおかれ、マニラ湾に入る船の検査が行われていた(コレヒドールという名前はスペイン語の「厳重に検査する」に由来する)。米西戦争によってフィリピンの統治者がアメリカ合衆国に変わると、コレヒドールには1902年にフォート・ミルズ基地がおかれ、戦略上の要衝となった。アメリカ軍は大量のコンクリートを使用し、巨大な大砲を設置してコレヒドール島を鉄壁の海上要塞とした。第二次世界大戦中の1941年12月に日本軍がフィリピンに攻め入ると、ダグラス・マッカーサー将軍はコレヒドールに司令部を置いて防御戦闘を指揮したが、大統領の指令により1942年3月に家族やマニュエル・ケソンフィリピン共和政府大統領らと共にオーストラリアへと逃れた。1942年4月にバターン半島の米比軍は降伏したが、コレヒドール島は残って戦いを続け、1942年5月6日になってコレヒドール守備隊は降伏した。やがて戦況が逆転すると、マッカーサーは圧倒的な軍事力によってフィリピンに残っていた日本軍を圧倒したが、コレヒドール島奪回にもこだわり、1945年2月に歴戦の第503空挺連隊戦闘団の空挺降下作戦により再占領した。現在、コレヒドールには第二次大戦中の武器や要塞設備が保存されており、巨大なマリンタ・トンネルや廃墟となった兵舎などを含めた観光スポットになっている。