「彩帆香取神社」は、大正3年に造営されたものの第二次大戦で破壊された。その後、復興されたものが残っている。彩帆神社の社号標は、彩帆神までは戦前のもので、それを利用して修復されたもの。神のところの銃撃の跡が戦争の悲惨さを伝えている。ちなみに、中央の献燈も、戦前からのもの。元々は、ドイツ軍の望楼があった場所に、香取神宮の分霊を祀り香取神社としたそう。しかし、一時は台風で破壊され、再び造営し、その後、砂糖王が小さな神社を大規模神社に増築した。
記事最終修正日時2013.03.07 07:58
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