韓国3大世界遺産+民族村ツアーはユネスコ世界遺産に登録された昌徳宮(チャンドックン)・宗廟(チョンミョ)・水原華城(スウォン・ファソン)と民族村を巡るツアーです。
1.昌徳宮
■ 昌徳宮の歴史
昌徳宮は、1405年(太宗5年)、正宮である景福宮の離宮として建てられた宮殿であり、第15代王の光海君以降270年間は正宮として使われました。世宗の時には集賢殿(学問研究機関)や蔵書閣などが建てられ、1463年には当時の王だった世祖がその規模を15万坪まで拡大させました。1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に焼失しましたが、1606年(宣祖39年)に復旧を始め1613年(光海君5年)に工事が終わりますた。1623年の仁祖反正の際に仁政殿を除く大部分の殿閣が焼失し、1647年に復旧されました。その後も数回にわたり火災が発生し、1917年には大造殿や熙政堂をはじめいくつかの内殿が焼失するなど被害は相当なものであります。
■ 見どころ
朝鮮王朝時代の宮殿の中で最も原形通りに保存されていて、宮殿のうち13棟はそのまま原形をとどめている昌徳宮。史跡第122号に指定され管理されており、1997年12月にユネスコの世界文化遺産に登録され、その文化的価値を発揮しています。
昌徳宮の後苑(フウォン)は、自然と調和のとれた美しさを充分に活かした韓国伝統の造景手法が最もよく保たれています。1976年までは自由に見てまわることができたが、観光客による毀損が深刻な状況に至り、入場を制限しています。
2. 宗廟
■ 宗廟の歴史
宗廟は、ソウルの中心部である鍾路区薰井洞一帯に位置しており、朝鮮王朝時代の歴代の王と王妃の位牌をまつる「祠堂」を指す言葉で、高麗時代は「太廟」とも呼ばれました。朝鮮を建国した太祖・李成桂(1392~1398)が首都を開城から現在のソウルに移し王宮の位置を決め、東側には「宗廟」を、西側には国土の神と穀物の神をまつる「社稷壇」を建てることにしました。現在は、宗廟が史跡125号、宗廟正殿が国宝第227号、永寧殿が宝物第821号、宗廟祭礼が重要無形文化財第56号、宗廟祭礼楽が重要無形文化財第1号に指定されています。 また、1995年12月に人類文化有産としてその価値を認められ、「世界文化および自然有産の保護に関する協約」に基づき、ユネスコに世界有産として登録されています。
■ 見どころ
毎年5月の第1日曜日には宗廟祭礼といって、全州李氏一族が集まり、伝統的な民族衣装に身を包み、雅楽が演奏され、荘厳な雰囲気の中、儀式が行われます。宗廟祭礼は1462年に定形化された形態を500年以上ほとんどそのまま保存・維持し続けているという。ゴールデンウィーク時期なので、日本からも毎年多くの観光客が訪れています。
韓国文化を体験するという意味で、一見の価値があります。
3. 水原華城
■ 水原華城の歴史
水原華城は、産業革命以前の都市城郭としては世界歴史上例のない城郭として評価され、水原華城の工事過程を詳しく書いた工事結果報告書であると言える『華城城役儀軌』という書物も残っており今日までも貴重な史料となっています。『華城城役儀軌』によると築城は1794年から1796年までの2年間、延べ人員70万人が動員、金800,000両(1両=37.5g:10匁)の費用がかかったとのこと。
朝鮮時代の第22代正祖王が、悲鳴の死を遂げた父をなぐさめようと墓を水原の花山に移し、新装する当時、百姓たちを移住させるための新都市として新たに造成したものがこの水原華城。建てられたきっかけはこのような限りない親孝行の現れでありながら、王の背後の経済基盤や軍事基盤を構築して強力な王権を回復するための試みでもありました。築き上げられた水原華城には中世の封建的な型から脱皮し、近代国家への願いや当時の変化する様子が伝統とよく調和して現れています。
■ 見どころ
八達門(南門)
宝物第402号に指定された八達門は華城の四大門の一つであり、その形がソウルの南大門や東大門と似ています。弓のように石を築き上げ、市街がソウルより狭くて城郭の直径も大きくありません。
華西門(西門)
華城の西門であり、宝物第403号に指定されています。より丈夫に築くため門の前に半月型の壁を築き上げ、敵たちが西門をたやすく攻撃できないようにしました。南側のトンネルは交通を円滑にするため最近追加したものです。
打鐘
八達山の頂上にある八達門銅鐘は、毎日10:00から18:00まで毎時間ごとに鐘を打ちます。毎時間それぞれ3回の打鐘はそれなりの意味を持っています。(父母への感謝や尊敬・家族の健康や幸福・自分の夢の実現)
華虹門(北側の水門)
水原華城を北から南へ貫く河がありそれを大川と呼び、北と南にそれぞれ北水門と南水門があります。北水門の周りには池や楼閣をよく調和して優れた景観をなしているのでそれを鑑賞するように水門の上に華紅門という楼閣を建てました。
4. 韓国民俗村
韓国民俗村は国内外の観光客のための露天博物館兼国際観光地として、1974年10月にオ‐プンしまし。 他の地方にももっと実際に近い伝統民俗村があるが、ソウルに近いというこたからここがよく知れています。韓国民俗村では、韓国文化遺産の故郷から数多くのものを集め置いて、次の世代のために保存しています。
伝統の市場道は、各地方の伝統食に異国的な風味を加え、たくさんの店で伝統の手工芸品やお土産などを販売しているが、大半はここで直接作られます。農楽隊、綱渡り公演が公演場で毎日2回行われる。 春、夏、秋の週末と休みには結婚、葬式、祭祀、還暦の祝などの各種の行事が再現されます。240エ‐カ‐以上の広い自然環境の中にこしらえた韓国民俗村には、朝鮮時代の後期を連想させる260軒あまりの伝統家屋と各地方の各種の家財道具があって、観光客にまるで タイムマシ‐ンに乗って昔に戻ったように感じさせます。すべての施設は過ぎ去った時代の食べ物、衣服、住居の形について、観光客が理解しやすいように再現、再設定されています。 20ヶ所の店では、各分野の職人たちが焼き物、かめ、竹細具、紙作りなどの作業の様子を現場で直接見られます。 韓国の過去の世代の慣習と生活様式がそっくりそのまま保たれている韓国民俗村で、朝鮮時代風に味つけした 様々な生活様式を味わうことができます。