太白山の麓にある天童寺から寧波の街に戻る途中にあるのが阿育王寺である。阿育王寺も中国禅宗五山の一つで晋代の太康3年(282年)に建てられた舎利塔がこの寺の始まりとされている。唐代には、日本へ渡る鑑真が遭難して戻り、一時身を寄せていたこともあるとのこと。何やらゴミゴミした感じのお寺だった。清明節だったこともあり参拝客が大勢いる。ここは石燈篭が沢山並んでいて、天王殿の前には大きな池がある。ひょっとすると禅宗のお寺の基本的な配置なのかも・・・石燈篭の並びにはいわく有り気な井戸が・・・中をのぞいたら普通の井戸だった。樟蒼軒と書かれた入口の奥には檀家の位牌がびっしりと並べられた建物があり、清明節の御供え物や灯された蝋燭、線香が一杯。但し、自分たちの先祖の位牌がある建物なのにゴミだらけになっていて、中国ならではの光景に唖然とした。唯一の救いは綺麗な木蓮が咲いていたことだけ・・・御参りに来た信者が一生懸命折っているのは墓前(位牌の前)で燃やす小さな舟型の紙。さて、阿育王寺では先に檀家の人たちが清明節でどのように墓参りをしているのかを見てから天王殿の方に行った。他の寺と違って、ローソクに火を灯してはいけないと書いてある。大雄寶殿の前では信者の方が手に火を灯した線香を持って、四方拝をしている。これが、中国式の参拝の仕方。大雄寶殿の屋根には立派な龍が・・・なかの仏像類は皆、金ピカだった。大雄寶殿の後ろにあるのが舎利殿。舎利殿の裏では男の子が何かしている。何かと思ったら・・・龍の口にコインを投げ込もうと何度も挑戦中であった。階段の手すりの柱にも石獅子が。この塔は元代に建て替えられたものであるが中に仏舎利が収められているとのこと。そもそも、愛育王とはBC3世紀のインドのアショカ王のことで、アショカ王が世界各地にたてさせた舎利塔の一つがこの塔だと言われている。それで寺名が愛育王(アショカ王)寺になったのである。