「ジュロン・クランジ防御線」というのは、クランジ河からジュロン河を南北を結んだ線で日本軍を食い止める意図で、英連邦軍が戦線を形成したもの。ここで英連邦軍も善戦し、日本軍の攻撃を停滞させるかと思われたのだが、本部の命令を勘違いして戦線から撤退した部隊が出たために、この戦線から全面撤退ということになってしまった。「ジュロン・クランジ防御線」の記念碑は、11個のうちの3番目。この記念碑のある場所は、ジュロン・ウェスト・アベニュー2(JurongWestAve2)の近くだが、記念碑に行くためにはコーポレーション・ロード(CorporationRoad)からジュロン・ウェスト・アベニュー1(JurongWestAve1)を経由しなければならない。そして、この記念碑を探すのには苦労する。地図を見た感じは、運河沿いにあるように思える。ようやく見つけることが出来る記念碑は、実は団地のど真ん中にある。この記念碑、何の変哲も無い場所に建っているので、わざわざ見に行く価値は無いのではないかと思える。観光客で苦労して現地まで行かれた方々は、きっと怒るだろう。
さて、テンガ飛行場付近に集結した第5師団は、ブキパンジャンへ向かい東へ進撃を開始。この時の目標の一つが、ブキパンジャン村の南にある434高地とそのすぐ南にある437高地。現在、この二つの高地にはシンガポール国軍のキャンプがあり近づけない。294高地は、437高地の南にある高地。第18師団は、第5師団のすぐ南側を東南に向かって進撃し、ブキティマ村の西から南西にかけての高地群を占領。その中に、186高地があるのだが、その付近の家は非常に眺めが良い家で、2階の寝室からは東方向が遠くまで見渡すことができる。