日本軍は、マレー作戦には第5師団、第18師団、近衛師団が基幹兵力として参加。シンガポール防衛の責任者であるパーシバル将軍は、日本軍がシンガポール島と北東部(コーズウェイからウビン島にかけて)から攻めてくると判断しており、その結果、主力部隊を北東部に配置した。しかし、日本軍は北西部(コーズウェイ以西)に上陸する計画であり、陽動作戦として2月7日の近衛師団の一部をウビン島へ上陸させた。パーシバル将軍の上司であるウェーベル将軍は、日本軍の上陸は北西部と判断していたが、パーシバル将軍は頑なに北東部と主張したそう。また、シンガポール北方の防御施設は軍港部以外は殆ど手がつけられていないのを見て、ウェーベル将軍が驚愕したそうだが、その後もパーシバル将軍は防御施設強化の指示をしまいままに、日本軍上陸の日を迎えてしまった。シンガポール北方の防御を固めなかった理由として、陣地を構築すると民衆に不安を与えるから、というのですから驚き。パーシバル将軍は陸軍大学での成績も良く俊英と目されており、机上の計画をたてるには極めて優秀であったそう。さて、2月8日真夜中に開始されたシンガポール上陸には、第5師団と第18師団が参加し、シンガポール北西部に上陸した。なので、実際の上陸日は2月9日で、ちなみに、近衛師団は2月9日にコーズウェイ西方に上陸。第5師団はクランジ河口西方から本投稿の主題であるサリンブン海岸にかけて上陸。また第18師団は、その右翼に上陸したが、上陸した場所は現在、シンガポール国軍の実弾演習場内にあるので立ち入ることは出来ないそう。記念碑のある場所は、LimChuKangRoadを北上し、道標32kmの手前を左折してBahteraTrackという未舗装道路へ入った奥にある。記念碑の辺りには、スカウトキャンプとか、アドベンチャーセンターがあるので、車の通りは僅かながらあり。LimChuKangRoadにはバスが通っているが、BahteraTrackにはバスは通っていないので、自家用車もしくはタクシーでなければ、この記念碑に行くのは難しいと思い。
なお、この辺りに上陸したのは、第5師団の杉浦部隊(歩兵第21旅団)に配属されていた安藤部隊(歩兵第42連隊)だと思う。また、この辺りに布陣していたのはオーストラリア第8師団22旅団2/20大隊のC中隊だった。英連邦軍はあまりに少ない兵力を分散して配置したために、どこも守れないという状況に陥ってしまったよう。