かつて経済、社会、文化の中心地として台湾の発展の中心地であった「大稲埕」は、台北市の民権西路以南、忠孝西路以北、東は重慶北路から西の淡水河に囲まれた地域のことをいう。その歴史は古く、1700年初頭に大規模な穀物を乾燥される施設がもうけられ、入植者たちが原住民と商品の取引をするようになり、大稲醍との呼び名がついた。イギリス統治時代には、台湾のお茶が人気を奏し、この港に茶葉輸出貿易会社がいくつも設立され、ここに近いという理由で現在の台北駅も作られたそう。
日本統治時代には、大稲醍に居住する富裕層が反日運動の中心となり活動し、また文化的施設もその時代多く建設されている。
こうした昔の面影を残すのが現在の迪化老街であり、現在も多くの地元民や観光客でにぎわっている。