16世紀から17世紀、アユタヤには中国などの近隣アジア諸国、およびポルトガルなどのヨーロッパ諸国からの商人が集まっていた。アユタヤ王は彼らに住居を与え、町形成の許可を与えた。その時できたのが「日本人町」だ。徳川家康時代の朱印船貿易では多くの発展を遂げた。まずは、日本人町に比較的規模の大きな港が作られることになり、武器として日本の刀が多く輸入されている。また日本へは皮製品や陶器などが輸出され、その輸出額は他国を大きく引き離していた。最盛期の1610年~1630年には1500人ほどの日本人が住んでいたと言われる。しかし、その後家光の時代に入り、鎖国命令が出されると、朱印船貿易も終わりをつげ、日本人町も消滅の一途をたどる。現在、建造物などは一切残っていないが、記念公園として、歴史博物館や記念碑などがある。