時代 |
内容 |
新石器時代 |
現在、ビクトリア港がある海峡は、約1万年前には陸地で、現在の香港島は九龍半島と地続きの平野だったといわれている。 約紀元前4000年~紀元前2000年、中国南部・珠江デルタに属する香港地区一帯に人類が住みついていたことがわかっている。 5000年前の新石器時代台湾文化の遺跡がランタオ島や香港島で発見されている。 |
王朝時代 |
紀元前221年、秦王政が周辺諸国を滅ぼして中国初の統一王朝を築いた。 始皇帝の死後、紀元前203年に南海郡尉の趙陀が南越国を建国。現在のベトナムまでを支配し、南海貿易を独占した。 秦から265〜316年までは「南海県」、317〜420年は「宝安県」、17世紀中ごろには「東莞県」と時代を迫って香港一帯が属する行政区の名称は幾度か変わった。 |
王朝明時代 |
明代に沿岸部での海賊の被害が大きく成り始めると、明朝は防衛のために「東莞県」を分割し、香港を含む沿岸部分を「新安県」とした。 1644年に明朝が李自成の反乱で滅ぶと、満洲族が中国各地に支配を広げていった。 各地で明朝の遺臣たちの抵抗が起き、1661年に現在の浙江省、福建省、広東省の沿岸部一帯の住民を内陸部に強制移住させる「遷界令」を出した。新安県は撤廃されたが、7年後にようやく強制移住令が解けて新安県は復活し、香港一帯は再び新安県の一部となった。 |
王朝清時代 |
清代になり広州が開港されると、1699年以降はイギリス東インド会社などが来航するようになり、1711年には広州にイギリス商館が開設。イギリスはインドからアヘンを輸出し販売を開始したが、アヘン輸入規制を推進する清朝とイギリスの間に紛争が発生した。(1841年・アヘン戦争)
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イギリス植民地時代 |
1842年8月に締結された南京条約で香港島がイギリスに割譲。植民地香港(The Colony of Hong Kong)が誕生した。
1860年に締結された北京条約で九龍半島の南端と昴船洲がイギリスに割譲。
1898年に香港境界拡張専門協約を結び、界限街以北一帯(島も含む)へ植民地を拡大した。清朝と英国の間でこの地を99年間租借する取り決めがされた。
香港が植民地からされると、アヘン貿易で有名なジャーディン・マセソンやデント商会などの英国系貿易会社が拠点を構え、新しい職や商売を求めて多くの中国人も香港にやってきた。また英国植民地だったインドから英国人の植民地経営の補佐役としてインド人も香港に移り、警官などの職に就いた。
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日本統治時代 |
1941年末に太平洋戦争が勃発し、日本軍が香港に侵入。啓徳空港を爆撃し、九龍半島を制圧後、香港島に上陸して陸上戦となった。18日間に渡る英国軍と激戦の末、同年12月25日のクリスマスに英国軍が降伏。この日は「ブラック・クリスマス」と呼ばれる。 日本は、香港を軍政下に置き、有名な半島酒店(Peninsula Hotel)は、東亜ホテルと改名され、日本軍部の司令部が置かれていた。
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イギリス植民地時代(後半)
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1945年、日本が敗戦し、英国が香港を再び植民地化した。 国民政府は強く反発し、国内で国共内戦が激化。 日本の降伏によって、中国から香港へ人々が戻るようになった。その中には上海出身の資本家や企業家も多く、その資産は後に香港の産業発展に貢献した。 1960年~70年初頭、香港の工業が発展し、経済が飛躍的に発展した。 1984年、中英共同声明で香港が1997年7月1日に中国に返還されることが決まった。 1984年以降、経済発展はめざましく、返還に対する不安も徐々に消え、一時海外へ移民していた人々も香港に戻ってきている。 |
特別行政区時代 |
1997年7月1日に、香港は正式にイギリスから中華人民共和国に主権移譲 これまで香港に君臨してきたユニオンジャックとエリザベス2世の肖像は姿を消し、五星紅旗が香港に翻った。 欧米諸国や日本、さらには中華人民共和国本土からの投資も増加し、現在では東京証券取引所に次ぐアジア第2の株式取引高を誇るなど、東京やシンガポールと並ぶアジアにおける金融センターとしての地位を確立している。
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【香港の歴史に触れられる名所】
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