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ケパニヴァイ文化遺産植物園

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イアオ・ヴァレーの手前に、マウイ島へ移民してきた人たちの歴史を紹介している庭園

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ケパニヴァイ文化遺産植物園イアオ・ヴァレーの手前に、マウイ島へ移民してきた人たちの歴史を紹介している庭園ある。日本、韓国、中国、ポルトガルの建物や風景を模した「ケパニヴァイ文化遺産植物園(KepaniwaiHeritageGardens)」。19世紀後半、カラカウア王の移民政策により日本からハワイへ数多くの移民が渡った。当時のハワイの産業は、サトウキビ・プランテーション。今でもマウイ島には広大なサトウキビ畑を見ることができる。当時のサトウキビ・プランテーションは白人が経営し、ハワイアンが労働者として働いていた。しかし、太平洋の孤島に大陸から白人がやってきたことで、彼らが持ち込んだ、もともとハワイにはなかった病気も持ち込まれてしまった。当然ながら免疫力のないハワイアンは病に勝てず、どんどんと人口が激減していくという非常事態に陥った。大切な労働力であったハワイアンの数が減ることでプランテーションも打撃を被る。そこで海外から移民を受け入れ、プランテーションの次なる労働力としていったというわけだ。サトウキビ・プランテーションで働くことはかなり過酷だったよう。日本と違い、ギラギラと照りつける太陽の中での長時間の労働、またサトウキビのとがった葉や虫などから身を守るために完全防備で臨まなければならなかったからだ。慣れない環境での農作業に加え、衣服も日本人にとっては課題のひとつだった。当時、日本人の衣服の主流は和服。しかし和服はハワイの環境には合わず、当然ですが農作業するのも適さない服。そこで日本人は、自分たちが着ていた和服を、ハワイの環境に合うような作業服としてアレンジし始める。白人が着ていた服を真似て、開襟シャツを作ったそう。さまざまな美しい柄が施された和服の生地で作られたシャツは後にアロハ・シャツと名付けられつ。そう、いまやハワイの正装となっているアロハ・シャツの起源は、日本人が着ていた和服をハワイでの環境に合うようにアレンジしたところから始まったというわけ。この公園は、イアオ・ヴァレーのすぐ隣にありながら、あまり立ち寄る人がいないよう。しかし庭園の中には美しい花々が咲き誇り、ハワイに移民してきた国々の文化、歴史を垣間見ることができる素敵な場所。ぜひイアオ・ヴァレーに訪れた際には立ち寄る事をお勧めする。

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ケパニヴァイ文化遺産植物園のタグ

記事最終修正日時
2013.03.07 07:58

Creative Commons — 表示 - 非営利 - 改変禁止 2.1 日本 — CC BY-NC-ND 2.1

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