退渓李滉は、朝鮮王朝を代表する朱子学者で、李珥(李栗谷)とともに16世紀の二大儒学者として称えられ、日本でも林羅山・山崎闇斎などの朱子学者に大きな影響を与えたと言います。
韓国の1,000ウォン紙幣にも肖像画が用いられています。
李滉は、慶尚道安東の出身で、科挙に合格した後、中央や地方の官僚として活躍しました。朝鮮時代の最高学府である成均館の最高職位(正3品)を数回歴任しますが、1560年に故郷である安東で隠棲し、陶山書院を開き、以降は儒学の研究および後進の育成に力を注いだと言われています。
陶山書院は、李滉が生前に自身の研究と人材育成のために建てた「陶山書堂」と、李滉の没後、後学者たちがその学徳を称えるために建てた祠堂を含めて、「陶山書院」と言います。
1561年に建立された「陶山書堂」は、李滉自ら設計し、講学を行った陶山書堂と、儒学生の寄宿舎として使われた隴雲精舎、書院を管理する守護人の宿所である下庫直舎のみ建てられました。
1572年に陶山書堂の後部に、李滉の位牌を祭る尚徳祠、典教堂、東・西齋が建てられ、1575年に、韓錫俸が書いた「陶山書院」の扁額が典教堂に掛けられ、王から扁額を賜った賜額書院として朝鮮の儒教の興隆のさきがけとなりました。
書院の配置形態は、教育施設が手前にあり、祭祀施設が後ろにある典型的な「前学後廟」の構成で、後世の多くの書院が陶山書院の構造を見本にしたと言います。
バスを降りて、チケットを購入後、売り場の脇道から陶山書院まで約5分ほど歩きます。
チケット売り場から陶山書院の内部まで、端正に整えられた生垣の道が100mほど続いています。
垣根の向こうは、洛東川が見え、真っ直ぐ伸びた松の木との調和が美しく、心が穏やかになれる場所です。
陶山書院の向かい、洛東川の対岸には古墳のように盛り上がった場所がありますが、これは試士壇と言って、1792年に正祖大王の命により、退渓李滉の学徳を称え、儒学者の士気を高めるため行われた特別試験を記念し1796年に建立されたもので、この時の受験者は7000人、合格者は11名だったと言います。
1974年の安東ダム建設の際に10メートルの堤防を造り、頂上に碑閣を移動させ今の形になりました。
霊芝山を背後に、洛東川を見下ろす形で、陶山書院は建っています。入口の階段を上った所に、退渓李滉が建てた陶山書堂があります。
陶山書堂は、李滉が4年掛けて建てた建物で、自ら住み込みで弟子たちを教えた場所です。
住居空間を「玩楽齋」と言い、板の間の空間を「巌栖軒」と言います。
陶山書院の前には蓮が生けられた正方形の池があります。李滉は、泥の中にありながら汚れの無い花を咲かせ、真っ直ぐ茎を伸ばし、澄んだ香りをさせる花の“君子”と喩えられる蓮にちなんで池を「浄友塘」と名付けました。
亦楽書齋
陶山書堂と同時期に建てられたもので、弟子たちの宿所として使用された建物です。
扁額の字は李滉の直筆とのこと。
隴雲精舎
弟子たちの寮として使われた建物で、李滉が直接設計したと言います。弟子達が自立的に勉学に専念するよう願いを込め、韓国語の「工夫(=勉強の意味)」の「工」の漢字の形に建築されました。
陶山書堂と東・西齋、付属施設を管理し、食事の準備をするために建てられた建物で、奴婢たちが居住した建物です。
本を保管した当時の図書館で、建物に掛けられた扁額は李滉の直筆です。東西で2つに分けられており、湿気を防ぐために高床式で造られています。光明の意味には、「多くの書物が瑞光を照らしてくれる」という意味が込められています。
左右に建つ光明室の真ん中に階段があり、その先に「進道門」と書かれた門があります。
陶山書堂と典教堂の間に建てられ、この門を境に、書堂領域と書院領域が分けられています。
典教堂は李滉を追悼するために建てられた陶山書院の講堂です。威厳さを出すために、床が高くなっているのが特徴です。西側1間のオンドル部屋は、院長の居住空間として使われたところで、大広間は講堂として使用され、正面が開放された造りになっています。正面に掛けられた陶山書院の扁額は、宣祖が名づけ、名筆である韓錫俸が書いたものとされています。
典教堂の手前の広場に、向き合う形で東齋・西齋が建っています。これは、儒学生たちが居住しながら勉強をした建物で、東側を「博約齋」、西側を「弘毅齋」としています。
典教堂に向かって左側に位置する上庫直舎は、書院の管理と食事の準備のために建てられた建物で、奴婢たちが居住した空間です。
典教堂の右側に位置した書院の出版所であり、木版(冊版)を保管する場所です。湿気の防止のため、格子窓にして通風性を良くし、床も地面から浮かした造りになっています。
李滉の位牌が祀られた尚徳祠に入る祠堂門であり、内三門と呼ばれています。
右の門は祭祀で祭官が通る道、左の門は供え物を搬入する入口とし、中間の門は魂が通る門と信じられていたため階段がありません。門に描かれた逆対極図は、新たな生命の誕生を意味していると言います。
尚徳祠で祭祀を行うときに使う祭需を準備し、保管する空間です。祭需庁と、酒庫があります。
陶山書院の下部にある1970年に建てられた建物で、李滉の遺品が展示されています。
石段の造形が美しく、フォトスポットとして人気の場所です。
安東駅→陶山書院 (67番バス)
安東駅を出て左に真っ直ぐ、教保ビルの手前にある「ハンソルシクタン(한솔식당)」前のバス停から、67番のバスに乗って、陶山書院に行きます。
陶山書院行きの67番バスは本数が少ないため、時刻表を必ず事前にチェックして行きましょう。
陶山書院までのバスでの移動時間は約40分です。
67番バスの時刻表
9:40 / 10:50 / 13:10 / 13:50 / 16:10
陶山書院 (67番バス)→安東駅
陶山書院のチケット売り場反対側に、お土産屋さんがあり、手前のバス停留所に67番バスが到着します。
陶山書院発のバスも本数が少ないため、時刻表をしっかり確認の上見学しましょう。
67番バスの時刻表
11:00 / 12:10 / 14:35 / 17:40
※バスの出発時間は5分~10分程度前後に時間差がある場合があります。
念のために、10分前に陶山書院前のバス停留所で待機するようにしましょう。
観覧料
大人(19歳~) 1,500ウォン
中高生(13歳~18歳) 700ウォン
小学生(7歳~12歳) 600ウォン
観覧時間
3~10月(09:00~18:00)
11~2月(09:00~17:00)
※車椅子の無料レンタルがあります。
※無料の荷物保管ロッカーがあります。(スーツケースなどの大きな荷物は入りません)
バスで行くときは運転手にガイドブックなどを見せて、着いたら教えてもらうようにしないと乗り越しますので注意。