恵化門は、1300年代に作られた城の周りにめぐらされた4つの門のうちのひとつだったもの。朝鮮時代には四つの大門と四つの小門があり、恵化門はその小門の一つ。説明によると昔は交通量の多い門だったようだが、一度撤去されているため、今はその道の脇の住宅街に埋もれるようにひっそりと佇んでいる。
恵化門を反対側から見てみようと思い壁伝いに歩いてみたが、民家がピッタリくっついて建っており、門の影も形も見えなかった。もともとの名前は「弘化門」であったそう。
恵化門は2階建ての東向き。昌慶宮や昌徳宮などの建物ととのみ17世紀はじめの研究資料として重要な価値がある。